11月5日と6日に鳥取市において,西日本ブロックの「市町村教育委員会協議会」が開催されました。初日の午後は全体会,2日目の午前は分科会で,私は第二分科会の「学力向上施策の推進」に参加しました。発表者は,三重県いなべ市と鳥取市教育委員会の教育長で,過疎化が進行する地域における奮闘ぶりについて話されました。
私がその中で注目したのは,学力の二極化でした。発表後に質問の機会がありましたので,学力の二極化の背景には家庭の経済力の格差の問題があること,そして新学習指導要領に基づいて作成された教科書においては,Q-Rコードで資料を読み取るような工夫がなされているが,意図は良いにしてもインターネット環境の整備された家庭とそうでない家庭の子どもの学力差はさらに広がるのではないかという懸念を述べ,各教育委員会はこうした問題に対してどのような対策を講じようとしているのかを質問致しました。
両市の教育長は非常に丁寧に回答されていましたが,元より妙案を期待しての質問ではなく,その場にいる全ての方々にこの問題を共有して欲しいという願いから質問をさせていただきました。
その場には指導助言者として文部科学省の方もおられ,問題の意味はよく理解されていました。その方が提供された情報の中で私の注意を引いたのは,小学校低学年の段階で語彙力に大きな差があるという事実でした。私は,こうした差は貧困に伴う家庭での親子のコミュニケーションの不足,親の語彙力の不足,子どもの社会的経験の不足などによるものだと考えます。子どもの話をよく聞き,語りかけること,様々な機会を通じて多くの人と交流すること,こうした幼児期の経験の不足が,語彙力だけでなく,社会的能力をはじめとする非認知的能力に影響し,様々な領域における発達を阻害するものと考えられます。
こうしたことを考えている時に,昨日の鳥取までの車中,スマホで観た「万引き家族」に登場する子どもたちの姿が思い出されました。虐待,ネグレクトなど,様々な理由で親から捨てられたり,逃げたりした子どもたちを自分の「子ども」として育て,彼らに万引きの手口を教える「親」。何とも辛いストーリーでした。「親」たちもおそらくまともな育てられ方や教育を受けて来なかったことでしょう。そうした大人が「子ども」の生き方の手本になるはずがありません。子どもたちには真っ当な大人のモデルが必要なのです。
こうした負の連鎖を断つことはできないものなのでしょうか。私は一つの突破口が,全ての子どもに「良質の幼児教育」を提供することだと思います。保育園や幼稚園で英語を教えたり,学習ドリルをさせたりする必要はありません。そんな時間よりも,保育者が子どもたちの話を聞いてあげること,語りかけること,大人と子どもが一緒になって創造的な遊びをすること,そちらの方がずっと大切な教育だと思います。 先日萩生田文部科学大臣の「身の丈」発言が物議を醸しました。経済的格差が教育的格差に及ぼす深刻な影響や,問題が世代を超えて引き継がれていくことを理解していたら,ああした発言はなかったことと思います。こちらも本当に悲しい話です。