全国一斉休校が「教育弱者」に及ぼす影響について想う

嬉しそうに学校から帰る子どもたちに出くわしました。3月26日(木)は,伊丹市の小学校の久しぶりの登校日であり,1年の終業式が行われました。私の一年生の孫も午後に30分ほど学校に行き,作成した絵などの作品を大きな袋に入れて持ち帰って来ました。

2月27日(木)の夕方に,安倍首相が突然に全国の小中学校と高校,特別支援学校を3月2日(月)から春休みまでの間休校とするよう要請してからほぼ一ヶ月が過ぎました。要請であるとはいえ,国のリーダーである首相の言葉は重く,全国のほとんどの学校は準備をする時間もないまま休校となりました。我が伊丹市も,27日の時点では全く感染者はいなかったにもかかわらず,3日(火)から市立の幼稚園,小学校,中学校,高等学校,特別支援学校を休校にすることを決定しました。全国のほぼ全ての学校を休校にしたにも関わらず,感染者数は東京,愛知,大阪,兵庫などで増え続けています。その一方で,休校措置をとらなかった島根県松江市などでは感染者は出ていません。学校を休校にすることは感染を抑制する効果が本当にあったのでしょうか。多くの子どもたちや保護者に大きな犠牲を強いただけだったのではないでしょうか。

アメリカでは,歌手のマドンナが,新型コロナウィルスは全ての人に災いをもたらすという点において平等だ,という趣旨のことをインスタグラムで発言し,物議を醸しているようです。あまりに浅薄な考えだというしかありません。

例えば,我が国で実施された全国一斉の休校によってとりわけ大きな影響を受けるのは「教育弱者」です。家庭で虐待を受けたり,満足に食事を提供されなかったりする子どもたち。あるいは,ネット環境が整っていないために,オンライン学習の恩恵を受けることができない家庭の子どもたち。世の中には,今回の休校措置に対して,感染拡大を防ぐためには当然だとか,親子が触れ合う良い機会になるといった主張をする人がいます。しかし,そうした主張をする人たちや,休校の決定をした安倍首相や各自治体の首長は,前述のような子どもたちの姿を瞬時でも思い浮かべたでしょうか。

アメリカのワシントン州のシアトルの学校も全て休校になっているようです。しかし,日本とは違って教育長や市民サービスの担当者がテレビに登場し,「教育弱者」に対する食事の提供をどうするかとか,オンライン学習に代わる学習支援の方法について語っていました。一体この違いは何なのでしょう。我が国では,個人的責任と社会的責任のバランスを取るという考えが著しく欠けているのかもしれません。

起こってしまったことを今更どんなに悔やんでも仕方がありません。国のリーダーや地方自治体の首長は,学校再開後の子どもたちへの支援の仕方について,あるいは再び学校を休校にせざるを得なくなった場合の支援の仕方について,とりわけ「教育弱者」の存在を念頭に置いて真剣に考えるべきだと思います。それが,大人の一方的な考えで犠牲を強いられた子どもたちへのせめてもの償いでしょう。

学校は,子どもたちにとって最も安全な場所であり,子どもたちの責任に帰すことのできない様々な格差を小さくするという重要な社会的役割を担っています。 子どもたちが,今回の全国一斉休校による「パンデミック」を乗り越えて,しなやかに生きる心の能力が育つことを心より願っています。

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